村田諒太のヤンキー時代が怖すぎる?

 

プロボクサーの村田諒太さんについて、ヤンキー時代が怖すぎるという噂がありますが、本当なのでしょうか?

 

あと、元K-1王者の魔裟斗さんと喧嘩したという衝撃の噂もあり、これらの詳細について調べてみました。

 

また、村田諒太さんの幼少期から世界王者に輝くまでの軌跡(生い立ち)も調べたので、合わせて見ていきたいと思います。

 

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村田諒太のヤンキー時代が怖すぎる?

 

 

 

まず、村田諒太さんのヤンキー時代が怖すぎるという噂から確認していきたいと思います。

 

確かに、ボクサー=元ヤンといったイメージも強いので、そういう噂が出ても不思議なことではないです。

 

で、実際に村田諒太さんの過去はどうだったのかというと、噂通り学生時代はヤンキーだったみたいですね!

 

 

 

 

現在の爽やかイケメン&イクメン姿からは想像できないですよね(驚)

 

後ほど、生い立ちでもご説明しますが、小学生の時にご両親が離婚して父子家庭の下で過ごしてこられました。

 

そして、どうにもできない心のモヤモヤを晴らす方法、心の置き所として「喧嘩」という選択に至ったようです。

 

しかし、そんな生活をしていると、どんどん心が荒んでいくことにも薄々感じていたのだとか。

 

ヤンキー時代の中心・中学時代(伏見中学)の村田諒太さんですが、その風貌と腕っぷしの強さで恐れられていたそうです。

 

中学に上がるとすぐに金髪に染め上げ「なんや、あいつ!」と先輩からも目を付けられることに。

 

その結果、喧嘩三昧の日々を送るわけですが、決して自分より弱い相手をいじめたりしない硬派なヤンキーだったようです。

 

また、そのあまりの強さから、いわゆるタイマンではなく「1VS複数名」という場面が多かったとのこと(驚)

 

そんな衝撃のヤンキー時代があった村田諒太さんですが、その後、どのようにしてボクシングと出会ったのか?

 

その辺の詳細については、このまま読み進めて生い立ちのところをご覧ください♪

 

続いて、村田諒太さんと魔裟斗さんが喧嘩したという噂について見ていきましょう。

 

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村田諒太と魔裟斗が喧嘩した?

 

 

 

ボクシング世界王者の村田諒太さんと、「反逆のカリスマ」という異名とともにK-1の世界王者に輝いた魔裟斗さんが喧嘩したという衝撃の噂!

 

この噂が事実だったとしたら、ある意味、どの世界タイトルマッチよりもビッグマッチと言えますよね(汗)

 

そこで、本当に喧嘩した過去があるのか、その真相について調べてみました。

 

結論から言うと、喧嘩していたというわけではないようです。

 

というのも、村田諒太さんが18歳の時、魔裟斗さんのスパークリング相手を務める機会があったそうです。

 

その時、数日間に渡りスパーリングを行ったのですが、魔裟斗さんに全く歯が立たなかったのだとか(驚)

 

しかし、その結果に納得がいかない村田諒太さんは、何度もリベンジしにスパーリングに訪れたのだとか!

 

ちなみに、当時のことを魔裟斗さんはこのように振り返っていました。

 

 

・村田諒太とスパーリングやると翌日に頭や首が痛くなった

・村田諒太がスパーリングに来ると知ると強いから憂鬱で仕方なかった

 

 

その一方、当時のことについて、村田諒太さんは、、、

 

 

・自分はボクシングを背負って居るという気持ちを持ち、絶対負けたくない
という強い気持ちだった

・魔裟斗の想像を絶する練習量に圧倒され尊敬の念を抱いた

 

 

このように語っており、意外とヤンキー時代に培った根性も役立っていたのかもしれませんね(^^)

 

その後は、お互いに尊重し合う良い関係になり、揃って世界王者になるという最高の結果を残すことになりました。

 

続いて、村田諒太さんの過去~世界王者になるまでの生い立ちについて見ていきます。

 

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村田諒太の生い立ち!

 

 

 

村田諒太さんの生い立ちですが、主にこのような流れで見ていきます。

 

 

・小学生6年時に起こった〇〇

・ボクシングとの出会い(中学時代)

・ボクシングの才能が開花した高校時代

・ボクシングで日本一を掴み取った大学時代

・日本人2人目のボクシングでの金メダリストとなる(ロンドン五輪)

・WBA世界ミドル級王者に輝く

 

 

このように、触りだけ見ていてもかなり凄い生い立ちになっていますね!

 

それでは、順番に確認していきましょう。

 

小学生6年の時に父子家庭に

 

村田諒太さんは、1986年1月12日に3人兄弟の末っ子として奈良県で生まれました。

 

ご両親ともに公務員という堅実なご家庭だったようですが、小学校6年生の時に離婚されて父子家庭になりました。

 

しかし、実際のところ離婚後も同居生活が続いていたらしく、その当時のことについて、、、

 

 

壊れた家庭環境にいるのが辛くて嫌でたまらなかった

 

 

と、このように語っていました。

 

その後、村田諒太さんは母親と一切会っていないことから、母親側に何かしら大きな原因があったのかもしれませんね。

 

その一方、父親は毎日仕事が終わると直帰して、とにかく子供達に尽くしてきたのだとか。

 

毎朝ご飯(パンがメイン)の用意をしてくれて、帰ってくると一緒に遊んでくれる!

 

そんな素敵な父親だったそうです(^^)

 

中学でボクシングで出会う

 

村田諒太さんは、中学に進むと1年の頃から金髪に染めるなど、いわゆるヤンキー時代に突入します。

 

それでも、父親は金髪に染めても特に何を言うでもなく、暖かい目で見守っていたのだとか!

 

とにかく喧嘩三昧の日々を送る村田諒太さんに対し、当時の先生はあるボクシング教室を紹介したそうです。

 

その時は長続きしなかったようですが、中学2年生の頃にある出来事が転機となります。

 

ある日、先輩と喧嘩になると、いつも通り村田諒太さんの完全勝利!

 

・・・だったのですが、その翌日「村田が負けた」という噂が広まっていたのだとか。

 

その時、「こんな喧嘩してても意味ないな・・・」と普段の生活に嫌気がさしたそうです。

 

そこで思い出したのがボクシングの存在だったわけで、中学3年生から本格的にボクシングに打ち込むことになりました。

 

高校でボクシングの才能が開花

 

村田諒太さんは中学卒業後、南京都高等学校に進学されました。

 

高校での初戦は黒星スタートだったそうですが、その後、メキメキと実力をつけ頭角を現します。

 

高校2年の時に「選抜・総体・国体の高校3冠」、高校3年の時にも「選抜と総体を制して高校5冠」を達成されました!

 

大学で日本一に輝く

 

村田諒太さんは高校卒業後、東洋大学(経営学部経営学科)に進学されました。

 

大学でもボクシング部に所属すると、2004年に全日本選手権で優勝して日本一に輝きました。

 

その翌年に開催されたキングスカップでも銀メダル、アジア選手権で銅メダルを獲得!

 

その後、不審に陥った村田諒太さんは、北京五輪の切符を手にできなかったことを機に現役引退を決意。

 

大学卒業後、東洋大学に大学職員として就職してボクシング部のコーチになられました。

 

ロンドン五輪で金メダリストに

 

2009年、自身がコーチを務めるボクシング部の元部員が起こした不祥事により、皆が希望の光を見失わないようにと現役復帰することに!

 

その類まれなボクシングセンスは健在で、2009年~2011年と全日本選手権3連覇という快挙を成し遂げられました。

 

その後も国際大会で初優勝を飾るなど好成績を重ね、ロンドン五輪への出場権を獲得します。

 

そして、2012年に開催されたロンドン五輪で金メダルという歓喜の瞬間を日本中にお届けしてくれました(^^)

 

プロ転向後WBA世界ミドル級王座獲得

 

村田諒太さんは、ロンドン五輪で金メダルを獲得した後、プロテストを経てプロボクサーに転向。

 

そして、プロデビュー戦で、東洋太平洋ミドル級王者&日本スーパーウェルター級王者の柴田明雄さんと対戦!

 

結果は、2R2分24秒のTKO勝利を飾り、東洋太平洋ミドル級1位日本ミドル級1位、WBC世界ミドル級19位とランクも跳ね上がることに。

 

その後、幾多の試合を無敗で駆け上がると、2017年5月20日にハッサン・ヌダム・ヌジカムとの待望の世界タイトル戦が組まれました。

 

しかし、この試合では、誰が見ても村田諒太さんの勝ちと思われた中、まさかの判定負けという結果に。

 

しかし、同年10月22日に再戦が組まれると、見事TKO勝利を飾りWBA世界ミドル級王者に輝きました。

 

以上、村田諒太さんの生い立ちについてでした(^^)

 

ちなみに、たびたび話題にあがる村田諒太さんの嫁さんについての記事も書いてるので、よければご覧ください。

 

⇒村田諒太の嫁は壇蜜似なの?でしゃばり炎上の真相とは?

 

まとめ

 

今回は、村田諒太さんのヤンキー時代のエピソードや魔裟斗さんと喧嘩したという過去の噂について!

 

また、幼少期から世界王者に至るまでの生い立ちをテーマにお届けしました。

 

ヤンキー時代があったことは事実でしたが、弱い者いじめをしない硬派タイプだったとのことで、本質的には優しい方だったんでしょうね(^^)

 

ではでは、今回はこの辺で。

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